【メキシコ・カンクン】エル・レイ遺跡の重要な役割とは?当時の産業も見えてきた

カンクンのホテルゾーンの中にあるエル・レイ遺跡。小さな遺跡だけれど、ほとんど観光客も寄り付かず、ひっそりと静かな遺跡だった。
イグアナが大量にいて、遺跡の中で彼らものんびりしている。
あまり知られていなくて、人もほとんど来ないような遺跡だけれど、マヤの人々が暮らしていた当時は、とても重要な交易の中心地だった。
ビデオも撮ってみて、ブログに書いてあることも慣れないナレーションで入れてみた。たどたどしいのは、ご了承ください。
エル・レイ遺跡へ行ってみよう

以前書いた記事のマヤ美術館から歩いて30分ほどの所にあり、この遺跡もホテルゾーンのど真ん中に位置する。せっかく近くまで来たので、ついでに寄ってみることに。
47の建物があり、遺跡内は20-30分ほどあれば見られる。
エル・レイ遺跡への行き方
ホテルゾーンの行き来は、公共交通機関がしっかりと整っていて、R1かR2とフロントガラスに大きく書かれたバスを使えばカンクンのダウンタウンから、エル・レイ遺跡の前までも走っている。
バスのドライバーに行き先を伝えておけば、目の前で降ろしてくれるはず。
エル・レイ遺跡の場所・時間
サンミゲリート遺跡から、南へ1.5キロほど。途中にはホテルが立ち並び、大きなゴルフ場もある。
時間:8am-5pm
エル・レイ遺跡の入場料
エル・レイ遺跡の入場料: 55ペソ(2020.2月現在)
カメラの持ち込み:別途料金かかる可能性あり
チケットカウンターの横にはトイレもあり。
エル・レイ遺跡の歴史や暮らしていた様子
オリジナルの名前
De unknown Maya artist – http://research.mayavase.com/, Dominio público, Enlace
今ではEl Ray”王様”と呼ばれるようになったが、元々のオリジナルの名前は、”K’inich Ahau Bonil”。”太陽の王様”といった意味があった。
ユカタンのマヤ人の中で、神様Gとして存在していた神様の名前。彼はユニークな特徴を持っていて、
- 中年男性
- 鷲鼻
- 大きくて四角い目
- 上顎の歯が出ている(出っ歯)
太陽の神様の割に、かなり不思議な描かれ方をされているなという印象。
エル・レイの始まり
この地方に人々が住み着き出したのが、紀元前300年頃と言われていて、初めはとても小さなコミュニティだった。
その頃から、木製の家が建てられ、屋根にはヤシの葉で覆われるこの辺り特有の建築スタイルで建築が進んでいった。 そして徐々に人口も増え、西暦1300年から1550年頃には、数ある海岸沿いのマヤのコミュニティーの中でもかなり重要な都市だった。
広範囲に輸出入をしていた

マヤのコミュニティのなかでも、かの有名なチチェンイッツァ遺跡やカンペチェのエズナ遺跡といった都市とトレードを頻繁に行っていた。カリブ海地域の中でも、 エル・レイには重要な港があったからだ。
エル・レイは様々な役割を持っていた
By unknown Maya artist – Madrid Codex, Public Domain, Link
交易をする主要な都市という役割のほかにも、いろんな意味で重要な役割を持っていた。例えば、 彼らのコミュニティの中で重要人物だった人々の埋葬地だったり、世界の文明の中でも、ものすごい発達を遂げていたとされる、天文学の教育機関も持っていた。
他の近くの都市とも交流が深かった
近くにある他のマヤの人々のコミュニティとも密接な関わりのあったエル・レイ。
- シェル・ハ(Xel ha)
- タンカ(Tankah)
- トゥルム(Tulum)
- シャマン・ハ(Xaman Ha)
- ムイル(Muyil)
などとの交易ルートを作り上げたのもエル・レイの成し遂げたこことの一つ。
エル・レイの人々の仕事
西暦200~1200年頃まで都市として機能していて、ここでの主な産業は、漁業と塩作りだった。そしてそれらは、輸出入をするための大事な収入源だったに違いない。
有名なところでは、チチェンイッツァはさらに北にあるラス・コロラダスや、エル・クヨ、エマル(サン・フェリペから5㎞ほどの場所にある島)を使って塩を独占的に作っていて、そこからできた塩を輸出し、膨大な富を得た。
エマルからは、年間5000トンもの塩を作って、輸出していたそう。
エル・レイの最期
16世紀に入ってスペイン人がメキシコの支配を始めると、次々にマヤの遺跡は退廃していく。もちろんこのエル・レイも例外ではなかった。
発見されたのは最近
発掘が始まったのは1954年。1975年には、ようやくメキシコ政府が主導となって、修復作業が始まった。それまではほぼ手つかずという状態。
エル・レイ遺跡の重要な建物

チケットカウンターのすぐ横に、エル・レイ遺跡全体のマップが掲載されている。
建物1と建物4

大きな宮殿になっていて、いくつもの支柱が今でも残っていて、平らな屋根を支えていた。ここでは政治的な活動も行われていた。
建物2とそこから見つかった人物
奥の方にある建物。
3つの宮殿のような建築物が合わさってできている建物。ここでは身分の高い人々が暮らしていたと考えられている。
この建物からは、当時の重要役職を持っていたと考えられる人物が見つかっている。その人物は、陶器で作られたものと一緒に埋葬されていて、他には銅製品、翡翠、貝殻などとともに発見された。
建物3
高さは5.5 M で、お寺として使われ、宗教に関わる儀式を行っていた。遺跡の中では一番高くピラミッドになっている。中に入ることはできず、外から写真を撮るのみだけれど、遺跡にある建物の中で一番重要なもの。
建物18 レジデンシャル・プラットフォーム

ここでは人々が暮らしていた、家が数多く残っている。 家の玄関は遺跡の入り口から南北に延びる真っすぐな道路に面している。
建物22.1 支柱のお寺

南に位置するこのお寺。2つの別の建物からもとても近い場所に建設され、建築スタイルも同じで、支柱・ベンチ・平らな屋根・2つのギャラリーそして、3つの入り口が2つの支柱によって分けられていた。
これらは、宗教儀式を行う場所として機能しており、マヤの神様を模った陶器で作られたお香立てが、中の社に祀られていた。
最後に
以上エル・レイ遺跡でした。この他にも、まだまだ有名じゃないけど見どころのある遺跡は沢山存在し、メキシコ・ベリーズ・グアテマラに大きく広がっている。
それぞれの都市の関係性を調べると、主従関係が見えてきたり、思わぬストーリーに出会ったりもする。そういった発見が面白くて、旅を続けているのかもしれません。