チチェンイッツァ遺跡の神聖なるゲームで生贄が決められていた球戯場を探る【メキシコが誇る屈指の世界遺産】

マヤ遺跡に限らずメソアメリカの遺跡という遺跡には必ずあるのが球戯場。サイズは大小様々で、宗教的な意味や戦争に関連したゲームだった。

チチェンイッツァ遺跡や、エル・タヒンには10を超える球戯場があり、いかに彼らにとって球技が大事だったかが計り知れる。

ゲームのルールを書き残した書物などは残っていないが、今でもメキシコで当時の様な球技が行われている場所もあるそうだ。

今回取り上げるのは、チチェンイッツァ遺跡にある超巨大な球戯場について掘り下げていきます!

チチェンイッツァ遺跡の全体マップと球戯場の場所

入り口から入って、始めに目の前に現れるピラミッドが、エル・カスティーヨ。

そのすぐ左手の奥に位置するのが、メインの球戯場(グラン・フエゴ・デ・ペロタ)。

エル・カスティーヨの左奥にあるのが球戯場

前回の記事で特集をしたピラミッドのエル・カスティージョのすぐ隣にある。

360度の Google Map はこちら。

相当巨大な建築物で、圧倒される存在感を持っている。

球戯場内部

中は通路みたいになっていて、通り抜けることもできる。

メイン球戯場 El Gran Juego de Pelota / Great Ballcourt

チチェンイッツァ遺跡の大きな見所の一つはこの球戯場。

メソアメリカでは宗教儀式と球技が、密接な関わりを持っている。どこの遺跡に行っても必ず一つはあるのが球戯場。

メソアメリカで最大の球戯場

チチェンイッツァにある競技場はメソアメリカでも最大のもの。 ピラミッドのすぐ横にあるのが一番大きいが、チチェンイッツァの遺跡の中では8個から9個の球技場があると考えられている。

一番大きなメインの球戯場は縦が168mで、横が79m。端から端まで歩くのも結構時間がかかる。アメリカンフットボールの2.2倍のサイズのコートである。

真ん中に設置されているゴール

左右の壁の上の方に輪っかの形をしたポールが設置されている。想像より高い位置に設置されているし、ゴールと言ってもバスケのボールみたいに上から下にボールが落ちる感じではなく、横を通したら勝ち(やっぱり毎回入れれるわけではなくて、この輪っかに通すのはとてもレアだったみたい)というもので、びっくりするほど輪っかのサイズは小さい。

Chichén Itzá Goal.jpg
By Kåre Thor OlsenOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

壁には、プレーヤーたちが描かれている

球技場の両サイドが水平な壁になっていて、プレイヤーたちの姿が石彫として、そしてペイントとして残されている。今ではかなり見えにくくなっているが、作られた当時はきっとカラフルに彩られていたんだろうなぁと想像できる。

手や足を使わず腰の部分を使ってボールを打ち返しながら

時代によってルールは様々なものがあるらしいが、基本的に手と足は使ってはいけない。なので腰やお尻、膝などを使ってボールを打ち返す。

ボールはかなり重く3-4㎏はあったと考えられていて、チクルと呼ばれるチューインガムの材料になるゴム状の物質から作られる。 かなりの重さがあったので、ゲームをしている間に怪我をしてしまうことも。

お尻で打ち返してあんな小さなゴールにボールを入れるのか?相当な鍛錬が必要そう。

かっこいいビデオがあったので、ここにリンクを貼っておきます。

基本的なゲームの仕方

La Corona Relieve Juego de Pelota.jpg
By Adrian HernandezOwn work, CC BY-SA 4.0, Link

細かいルールを記した書物などは残っていないが、二つのチームで戦い、一チーム8人の合計16人で戦う方式だったと書かれているものと、一つのチームは2人から4人だったという説もあり、文献が残ってない以上100%ちゃんとした情報は残っていないし、何が本当だったのかも今は分かることができない。

真ん中に線が引かれて、その線の向こう側とこちら側に一チームずつ配置される。

プレイヤーの胴体、肘、膝には頑丈なパッドが着けられていた。

ルールは、

  • バレーボールのように、ボールを打ち合いながら自分のチーム内でボールを落としてしまったらポイントが減る
  • ボールをコートの端っこまで持っていくことができたら、ポイントが加算される
  • ボールを触ってしまうと、減点。
  • まれに壁に設置してある輪っかにボールをゴールさせることができたら、ゲームは一旦終了で、ゴールを決めた選手は賞賛される。

ゲームに負けたものは、命まで落とすことになる。文字通り命をかけた戦い

ただのゲームではなく、生死をかけた真剣勝負の戦い。負けた方が生贄になるという説もあるし、勝負に勝った方のリーダーが神様の生贄になれるという説もある。

捕まえて来られた捕虜にゲームをさせて、わざと負けさせて殺すということもしていたそうだ。

神さまの生贄にされる人は、まず膝を立てて座らされてそのまま首を切られる方式だったみたい。こわ! そして生贄になった人の頭蓋骨は、ボールの芯の部分に使われたという。こわいけど、それくらいすごい高尚なゲームだったと思うと、マヤの人はある意味で宗教団体だったんだなと思えてくる。

最後に

これを書いている2020年7月現在では、まだチチェンイッツァ遺跡はCOVID-19(コロナウィルス)の影響で、再オープンしていない状態な様ですが、一日の入場を1000人にして対応する方針という記事をみかけました。果たして無事に再開されるんでしょうか?

 

ビーチも、この前まで少しオープンしたのに、また閉じてしまってメキシコの感染者の数は伸び続けています。減少傾向になったと思っても、またすぐにドカンと増えたりを繰り返しています。

早くまた遺跡巡りができますように。

 

皆さんも、健康第一で今は引きこもってやれることをやりましょう!

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