チョルーラ世界一敷地面積の巨大遺跡や、みどころなど【メキシコ・プエブラ】

メキシコに興味のある方や、メキシコに訪れた事のある人は恐らく一度は聞いたことがあるであろう”プエブロ・マジコ”

スペイン語でプエブロ=場所、マジコ=マジカルな。といった意味で、言葉の通りマジカルな場所らしい。

歴史的・文化的背景がその町や村にあっておもしろいよー!と要は、観光してね。とメキシコが力を入れているスポットで、地域ごとに特色があったり興味深い内容のツアーもあったりするわけだ。

代表的なプエブロ・マジコを紹介しているページがこちら(英語)

今回紹介するこのチョルーラもそのプエブロ・マジコのひとつで、世界一の敷地面積のある大きなピラミッドの頂上に立つ教会が有名だったり、富士山にそっくりなポポカテペトル山通称ポポが美しく見える。

チョルーラについて About CHOLULA

ポポカテペトル山と十字架と夕日

チョルーラと呼ばれているが、実際には2つの地域に区切られていて、1つはサン・ペドロ、もう1つがサン・アンドレスという。

これは、2つの民族トルテック・チチメカス族とオルメカ族が13世紀ごろに互いにけん制し合っての結果、地区が別れたと言われている。

サン・ペドロ側にはケツァルコアトルの神殿が建てられ、反対にサン・アンドレス側にはチョルーラの巨大ピラミッドが建造された。

教会近くの広場には、夕日を観にたくさんの人が集まっていた。

チョルーラの歴史 History of CHOLULA

歴史を紐解くと、更に旅に深みが増す。

どうやってこの地に人々が移り住んで、この土地だったからこそ育った産業や文化があって。チョルーラにも長い歴史がある。

初めにチョルーラに人が住み付き始めたのが、プレクラシック期と呼ばれる紀元前500-200頃だと言われている。

その後、順調に人口が増えてゆき社会のシステムが出来、最初のピラミッドの建造が始まった。西暦200-800頃になると人口は20,000-25,000を超すようになり、この地域でも大きな勢力に成長。

この時期に、チョルーラの巨大ピラミッドは2度も増築が為され、メキシコシティ北部にあるティオティワカン遺跡とも交流があった。

しかし、クラシック期の後半になるとティオティワカンも衰退し、チョルーラの人口も減った時期があった。

12世紀に入ると、トゥーラという場所から沢山の移民?がやってきて、大きなコミュニティを作った。

これが、トルテック族の人々だ。元々の先住民だったオルメカ族は、初めはトルテック族の移民を受け入れる姿勢を取ったものの、彼らを虐げるような事もあった。

13世紀に入ると、虐げられていたトルテック族も徐々に勢力を伸ばし、ついには一帯を制服するようになる。しかし、トルテック族はオルメカ族を排除しようとはしなかった。

彼らは、町の東半分をオルメカ族に住まわして、新しい町の建設を行った。こうして、チョルーラは2つの地区に分かれた。

地区ではっきりと民族が別れて暮らしていたわけだ。

スペイン人の支配後の世界 After Spanish arrived

Felix Parra Episodios de la conquista La matanza de Cholula.jpg
By Félix Parra (1845-1919) – Université Paris-Sorbonne, Public Domain, Link

メキシコの歴史で大きな変革期といえば、この時代が一番大きな曲がり角だったに違いない。それは、スペイン人の侵略だ。

ここチョルーラでも、スペイン人の侵略に反抗する勢力も有り、6,000人を超える先住民が殺された。

この事件は“Massacre of Cholula(チョルーラの大虐殺)”と呼ばれている。

スペイン軍と比べて、少しの兵力しかなかったチョルーラ。それでも、大多数の市民はどこかへ逃げてしまっていて、被害はまだ少なかったのだとか。

スペイン人のコルテスの手記によると、この頃は2,000もの家が密集していて人口は100,000を越えていた。

そして、沢山の人々が貧困と飢餓に苦しんでいたそうだ。スペイン人の侵略前ですら、あまりいい環境ではなかったらしい。。。そこから、沢山の教会が建てられ始め、スペインからの移民も増えていった。

世界で一番大きなピラミッドのあるチョルーラ The largest pyramid in the world!?

チョルーラの遺跡と教会

チョルーラの観光の目玉スポットと言える、大きな大きなピラミッド。

今やただの山にしか見えないが、これがピラミッドだったらしい。地下空間には長いトンネルが彫られていて、とってもミステリーな場所だ。

エジプトのピラミッドより大きい!トラチウアルテペトル The Great Pyramid of Cholula “Tlachihualtepetl”

Comparison of pyramids.svg
By Cmglee – Own work, CC BY-SA 3.0, Link

ナワトル語で”手で作られた山”を意味する言葉が”トラチウアルテペトル”。

これがそのピラミッドの名前だ。

英語名では、ザ・グレート・ピラミッド・オブ・チョルーラと、何とも個性のない名前だけど、このピラミッドは面積が世界一だそうだ。

分かりにくいけど、12番の明るい緑色で示されたのがチョルーラのピラミッド。なるほど、横に大きい。そう思うと、チチェン・イッツァのピラミッドって結構小さい。

ピラミッドの高さは55m、面積は400m四方と歩いてぐるりと周るのも結構時間がかかるほど大きい。

このピラミッドは、羽の生えたヘビの神様ケツァルコアトルに捧げられたものだと考えられている。

なぜ世界で一番大きいかと言われているか。それは高さではなくて、体積だ。

クフ王のピラミッドの体積は225万㎥に対して、チョルーラのピラミッドは445万㎥というので驚き。

営業時間:9:00~18:00
入場料:70ペソ
無料開放日:日曜日

長い長いトンネルがピラミッドの地下に Loooong tunnel under the pyramid

プエブラのチョルーラの遺跡の地下道

ピラミッドに行く前に、長~いトンネルを抜けれる場所がある。

ぐるっと一周して、歩いたのは800mほど。途中、鉄格子がはまっていた場所がいくつも点在していて、まだまだ別の通路へ?部屋へ?行けそうで、なんともミステリアスな場所だった。少し地底人にでもなった気分になれた。

このトンネルがあるのは、ピラミッドの真下に位置する。

ここまで沢山のトンネルを掘るなんて、当時としても相当な大事業だっただろうに、そこまでの財力があったわけだ。

ピラミッドの上に作られた教会 Iglesia de Nuestra Señora de los Remedios, Cholula

プエブラのチョルーラの教会

侵略してすぐに、ピラミッドの上に教会を建ててしまったスペイン人たち。

ピラミッドはもちろん元々いた先住民の人たちにとって、宗教的な意味は深い。

そんな大切にしているものの上に、全く別の宗教施設を作っちゃったわけだ。

私はあまり宗教に関わった事のない人生だから、外国に行って神様に熱心にお祈りを捧げる人々を見ると新鮮に感じるわけで、それがまた面白さを感じる。

当時は化学が発展していなくて、もっと生活に深く宗教が根ざしていたとしたら、こうしてピラミッドの頂上にキリスト教の教会が作られたのは、大ごとだったに違いない。

坂を10分程登ると教会に到着する。そして、絶景が待っている。天気がいいとポポカテペトル山が見えて、風が吹いてとても清々しい場所だ。

Iglesia de Nuestra Señora de los Remediosの概要

1574-1575年に建てられた、カトリックの教会。中に祀られているのが、Our Lady of the Remedies(聖母レメディ)で、1519年にスペインからメキシコに持ってこられた。当初は大尉としてメキシコに来て、彼自身の無事を祈るために一緒に連れて来たのだそうだ。

入場料:無料

チョルーラ博物館 Regional Museum of Cholula

ここの博物館は、展示品の質が高い!のと、プエブラは総じて言える事だけど、デジタルを上手く使ったアートな展示方法で、言葉が分からなくても映像を駆使してのエキシビジョンがあったりして興味が継続したまま見続ける事ができる。

マヤ、トルテック、アステカの展示もあったり、現代アートと昔ながらの文化が融合した彫り物?だったり、絵画の企画展もとても素敵だった。質の高いアートを楽しめ、大満足!

規模も大きいので、じっくり見ると半日かかるかもしれない。

ぜひ、時間を取ってゆっくり行くべき博物館。中にはお洒落なカフェも併設されていて、優雅な時間でした。

番外編

テンプロ・デ・サン・フランシスコ・アカテペック Templo de San Francisco Acatepec

プエブラでお友達になったマリーとマリーの旦那さんのペーターが連れて行ってくれた教会で、とてもユニークな教会だった。

余りにも細かい柄が施されたタラベラ焼の陶板?で外観がすべて装飾されていて、とてもカラフル。

中も、金で装飾されているのだけど、他では見ない様なメキシコならではの不思議なアート空間とでも言おうか、とにかくある意味メキシコらしさ前回の装飾物がかわいい。

プエブラのリンク