自由な生き方ができる”フリーランスデザイナー”という道を選んだ幼馴染のおっちーへのインタビュー 動画あり

今回のテーマは”自由な生き方”。

大多数の人たちは、そんな言葉に憧れる。自由とは何か、自分にとって幸せとは何かを少し考える。

私の小学生時代からの友人おっちーは、フリーランスデザイナーとして東京を拠点にして仕事をしながら旅もよくしている(フットワーク軽く、私がタンザニアにいるときも遊びに来てくれたし、モントリオールやケベックにも一緒に遊びに行った。)。

お母さまがフィリピンの方なので、フィリピンにもご実家があってフィリピンでは1週間以上おっちーの家でお世話になった。そんなわけで彼女とは旅仲間でもあり、良き理解者でもあるおっちーにインタビューをしてみた。

学生時代

おっちーとの出会いは、小学生時代!三重県四日市の片田舎で、一緒小学生をしていたわけ。当時から絵がずば抜けてうまかった記憶がある。

私が中学校で引っ越しをして、学校も転校してしまったのだけれど、それからもスポーツなんかも趣味が合っていたのか、ちょこちょこ遊んでいて付き合いはあった。

そして、高校を卒業して、おっちーが目指したのは日本の美大でトップレベルだという”東京芸大”

しかし、狭き門に阻まれ、現役合格ならず。一浪し、別の美術系大学へ。

就職した

東京の広告会社に就職するも、よくあるブラック企業だったようで。

デザイナーは基本的に広告関係が多いそうだ。残業が多いのは、広告業界の性質らしく。なかなか過酷な日々だったようだ。アパレルも結構ブラックだったけど。。。時代なのか?

1年で初めの企業を辞めた。

理由は、

「心がすり減ってしまった。そして、早めに軌道修正がしたい。」

と別の写真系の会社へ就職。

カメラマンを派遣するような会社で、おっちーはカメラマンさんが撮ってきた素材を使ってデザイナーとして編集をしていた。

ここで3年間働いた間に、PhotoshopやIllustratorなどのデザイナーに必要なスキルを身に着けた。

自分のやりたい事を追い求めはじめる

フリーランスデザイナー

社会保障などもしっかりしていた企業を、やめる決断をした。

「もっと、やれる事を広げたい。自分のスキルを上げたい。新しいチャンスをどん欲に求めたい。」

と上を目指した。

その時に、私はJICAの協力隊事業でタンザニアに行っていて、おっちーが遊びに来てくれた。タンザニアに来てくれた経験が、キャリアを変えるきっかけにもなったと語るおっちー。

これは、マニラでおっちーの実家でお世話になった時に、おっちーのお父さんから聞いた話でもあった。

キャリアチェンジや身の振り方に迷っていた時でもあったようで、意を決してアフリカのタンザニアにまで足を運んだのは、環境を変えるいいきっかけになったと話してくれた。

JICAにチャレンジしてみた

タンザニアに来てくれたことがきっかけ?で、JICAに挑戦するのを決めたおっちー。

JICAのボランティアとして、フィリピンに行きたいと試験を受けた。書類審査の1次試験は通ったが、2次試験で残念ながらうまくいかなかった。

理由は分からないけれど、結局JICAボランティアとして、フィリピンに行くことは叶わなかった。

が、気を取り直してフィリピンのフリーペーパーを発行している日系の会社で働き始める。

新たな挑戦のスタートを切ったわけだ。

次回へ続く

スペイン語を教えるYoutuberをしているノブシートさんのインタビュー