【黄金の仏塔】伝説の残るタートルアン/ラオス・ビエンチャン

ビエンチャンでおそらくナンバーワンの観光スポットである、タートルアンというゴールデンに光り輝く巨大な仏塔。金箔が周りに貼られているので、とても綺麗です。

毎年ルナ歴の11個目(他情報では12個目)の月である時期の、満月の15日に国内を上げてフェスティバルが行われる。

タートルアンの前に一人の人間の銅像が飾られている。彼の名前はセーターティラート王(King Xaysetthathirath)。 1534年に生まれ、 ラオスの歴史の中で重要な王の一人。

そんなラオスの歴史や文化が感じられるタートルアンのお話。

崇拝され続けるセーターティラート王 (King Xaysetthathirath/Setthathirath)

タートルアンの前のセーターティラート王
Pha That Luang, Vientiane, Laos

ラオスの偉大な王様セーターティラート王

タートルアンの前に座しているセーターティラート王は、ラーンサーン王朝第18代目そしてランナータイ王朝16代目の王様だった。

この光り輝くタートルアンを建設した人物でもある。

この銅像の前で、たくさんの人がお辞儀をしてなんだか神様のような扱いに思えた。それくらい尊敬されている人なのだろう。

お寺の建設も進められた

エメラルド仏陀を安置するためのお寺ワットプラケオを建設した人物でもある。

今でもエメラルド仏陀の所有権については、ラオスとタイの間で揉めているそうだが、その火種はこの時期から生まれている。

ビエンチャンを建設し、周辺地域の貿易の要として機能していた。しかし彼は、国がビルマに攻撃されると、ビルマ軍に捕まり処刑されてしまった。

山岳民族の国家だったラーンサーン王朝  (Lanexang Kingdom)

ラオスビエンチャンのタートルアン仏塔
Pha That Luang, Vientiane, Laos

ラーンサーン王朝の起源

タートルアンを語る上で重要になってくるのが、やはり歴史的な背景。

ラーンサーン王朝は、14世紀から18世紀にメコン川を中心に発達した王朝。

タイヤラオス周辺に暮らしていた山岳民族たちの作り上げた国家の一つ。

”ラーンサーン”とは、百万頭の象の王国という意味があり、ラーンサーン王朝はラオスのほぼ全土を網羅する王朝だったため、現代のラオス人にとっても彼らラオス人の一つのルーツがここから来ていると考えられている。

ビエンチャンがラーンサーン王朝の首都だった

16世紀に、先ほど出てきたセーターティラート王が、ビルマの侵略を阻止するためにラーンサーン王朝の首都をビエンチャンに移した。

しかし最終的には、ビルマには侵略を許してしまった。

ビルマは当時巨大な勢力で、すでにタイのチェンマイやアユタヤを支配していた。

歴史背景が見えてくると、こういった場所に訪れるのも楽しいですね。

ビエンチャンにタートルアンが作られた

ラオスビエンチャンのタートルアン
Pha That Luang, Vientiane, Laos

タートルアン×数字

さて話は仏塔のタートルアンに戻る。

仏塔の高さは45mもある、思っていたよりもとても大きくてびっくりした。

高さもかなりあるが、敷地もかなり大きく69㎡あり、ぐるっと一周するだけで20分ぐらいかかる。真ん中に大きな仏塔が立っていて、その周りに30の小さな仏塔がぐるりと寄り添っている。

驚くことに500kgもの金箔が貼られているそうだ。

タートルアンの世界観

タートルアンは三つの階層によって形作られていて、一番下の階層は黄泉の世界。

二つ目の階層である小さい仏塔は、30の完璧な仏教世界を意味していて、一番上の大きな仏塔の改装は天国の王国を表している。

元々の起源

元々のオリジナルは、クメール王朝の時代に、当時ビエンチャンでたくさん暮らしていたチャム民族によって作られたヒンズー教のお寺だった。

クメール王朝は802年から1431年に、 東南アジア特にカンボジアで栄えた。その範囲は大きく中国ベトナム・ミャンマーなども含む。

1566年にタートルアンの前に、座しているセーターティラート王によって建設された。

チャム民族の時代に、 大きな仏教の布教ブームがあったとされる。

インドのアショーカ王の支援のもと、この時期に僧侶のグループがブッダの骨をビエンチャンに持ってきた。

そしてそれは今でもルアンパバーンにあるPhou Siの丘に安置されている。

紀元前218年にこの伝説的な出来事が起こったと言われている。

伝説の残るタートルアン

様々な言い伝えがあるタートルはんだが、そんな言い伝えの中の一つに、アショーカ王の遺品がタートルアンの仏塔の中に埋葬されている。

という。別の国の王なのに?その辺はなぜなのか不明。

そしてブッダの遺骨も、多くのラオス中の仏教寺院に持ち込まれその数は84000箇所にも及ぶという記述もあるそうです。

以前書いた、サワンナケートで訪れたラオス国宝の仏塔にも、ブッダの骨が埋葬されていると信じられている。

何度も改修されるタートルアン

改修工事も何度か行われており、一番最近だと2016年の9月からスタートしてタートルアンで行われる2017年11月のフェスティバルに向けて行われた。

その他に大きな改修工事は、1819年、1930年から1935年、そして1976年にも行われている。

仏塔の周りにぐるりと囲むように配置されている仏像たち

タートルアンの周りに置かれている
Pha That Luang, Vientiane, Laos

メインのルートを取り囲むようにぐるりと、仏像のようなレリーフのようなものたちがゴロゴロと転がっていたり、とても古いものなのか何なのかよくわからない。

しかし花が供えられていたりするので、仏像だったりするのでしょう。

第二次世界対戦などで攻撃を受け、かなり破壊されたという歴史もあるので、これらの像などもかなり破壊されてしまったままの状態なのかもしれない。

写真の仏像はかなりいい状態で残っていた。

敷地外のお寺にも注目

タートルアンの周りに置かれている
Pha That Luang, Vientiane, Laos

タートルアン自体も見事ですが、敷地のすぐ横にあるお寺もとても美しい極彩色のペイントが施されとてもカラフルな場所がありました。

その横には金色に輝く涅槃像もあり、 宗教や政治の中心地だったことを感た。

タートルアンフェスティバル

タートルアンで行われるフェスティバルは、ラオス国民にとって仏教徒にとってとても大切なフェスティバルで、国内中から人々が集まり、三日間かけてお祭りが行われます。

国中からたくさんの僧侶が集まり祈りを捧げ、その周りで一般の人々も祈ります。

フェスティバルが行われている間は、たくさんのお店も出店され、ラオスのローカルフードや、ファッショングッズ、様々な手作りのお土産なども売られます。

伝統的な衣装を身にまとった人々が練り歩くパレードや、子供用のゲーム、夜にはろうそくに火が灯され、音楽のパフォーマンスが楽しめて、最後には花火まで打ち上がります。

私はまだ行ったことがありませんが、ぜひ次の機会に行ってみようと思います。

タートルアンまでの行き方

私は宿から自転車を借りて向かいました。ダウンタウンからトゥクトゥクをお願いすると、 60,000kipくらいが相場。

パトゥーサイモニュメントから、ひたすら北上する。

タートルアンの入場料・時間・場所

入場料:5000kip

時間:8:00~12:00, 13:00~16:00

セーターティラート王の銅像の周りや、タートルアン以外のお寺などは無料で見れました。

訪れた時の動画

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