【オアハカの世界遺産】ミトラ遺跡/バスでの行き方・入場料

割と小さな遺跡だけれど、サポテコの人々にとっても、ミステコの人々にとってもモンテアルバンと並んで、大切だった場所がミトラ遺跡。
前回オアハカに来た時は、ミトラの街までは来ていたけれど、イエルベエルアグアに行くために通り過ぎてしまい、ここにこんな面白い遺跡があるということすら知らなかった。
1年越しに、やっとミトラ遺跡に行けたので、行き方や楽しみ方をご紹介します。
イエルベエルアグアの情報はこちら
ミトラ遺跡へのバスでの行き方・コスト
ミトラ遺跡までは、バスで一本で行ける。1人はオアハカシティーから約44キロ。
日曜市のティアンギスで有名なトラコルーラからさらに奥に行くと、ミトラに到着。
メインターミナルのアバストスからも出ているらしいが、日本人宿の七夕さんからも歩いて割りとすぐの競技場から出発。
ミトラ行きのバスに乗る。1時間に1~2本しかないので、少し待つことを覚悟した方がいいです。
- コスト:20ペソ(2019.07現在)
- 所要時間:1時間
ミトラの駅からは歩いて20分ほど。トゥクトゥクがたくさん走っているので、歩きたくない人はトゥクトゥクを拾うのがベスト。
駅からは少しわかりにくい場所にあるので、スマホにマップのアプリを入れて行った方がベター。スマホがなければとにかく北上。たくさんお土産屋さんもあるし、人も歩いているので最終的には人に聞けば辿り着けると思います。
オアハカからバスに乗ったのはここから↑
ミトラに到着するのはここ↑
ミトラ遺跡の入場料/時間
チケットカウンターがあり、そこで入場料75ペソを払って入場。
クレジットカードは使えず、現金のみ。
入場料:75ペソ
遺跡自体は小さいので、普通に見るだけなら1.5~2時間もかからずに終わる。
私たちはゆっくり写真を撮ってた(動画も!!!)ので、3時間くらいはいたかな。
月曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
火曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
水曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
木曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
金曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
土曜日 |
8:00am ~ 5:00pm |
日曜日 |
8:00am~5:00pm |
入場料:75ペソ
ミトラ遺跡の施設
遺跡の周りには、お土産屋さんがずらりと並んでいて、おそらくオアハカ市内よりは安めに買えるのではないだろうか。
ニエベ(アイスクリーム)のお店もあり、疲れた体を癒してくれた。
チケット売り場のすぐ横には、まあまあきれいなトイレもあったので安心。
ミトラ遺跡の名前の由来
ミトラとは、ナワトル語の“ミクトラン”と言う言葉から来ていて、死者の地と言う意味がある。
サポテコ族の中では、 ”Lyobaa”と言う名前で呼ばれており、”休憩する場所(Place of rest)”と言う意味があったそう。死は休憩という意味で捉えられていたのだろうか?
ミトラの文化が繁栄したのは、西暦750から1000年頃もしくは、西暦900年から1200年頃と推定されていたが、実際はスペイン人が侵略した後の1500年代頃にも都市としての機能があったと考えられている。
ミトラ遺跡はモンテアルバンと同じように重要な場所
モンテアルバン遺跡は、政治経済の中心地だったが、ミトラは宗教的な活動の中心地だった。
更に、ミトラ遺跡にはオリジナルで残っているものが多い。
70%はそのままで残されていて、修復は30%ほど。この割合はメキシコの遺跡の中でもかなり珍しいそう。
なぜミトラがユニークなのか
ミトラ遺跡の見所の1つが、モザイク模様の入った壁の装飾がここにしか見れない文化の1つ。
他の遺跡では同じようなものは見られない。
大変小さな磨かれた石を敷き詰めて、いろいろな柄を作っている。波のような柄だったり、幾何学模様がとても複雑で、そして美しい。
建物全体の外観にも、建物の中の部屋の中にも、さらにはお墓の中の壁にも装飾が施されている。
ミトラの初期
遅くとも西暦100年から650年頃には人々が住んでいたと考えられており、実は紀元前900年ごろからとも考えられている。
そして西暦1000年頃に、サポテコ族に変わりミステコ民族が政権を握った。
ミトラ遺跡が作られた理由
当時の人々にとっての死生観が反映されている遺跡と言う部分が面白い。
メソアメリカの人々にとっては死は次に生き返るためのステップに過ぎない。
ミトラ遺跡は今生きている世界から、死後の世界に行くための門と言う位置づけがあったそう。
スペイン人がメキシコに着いた頃
スペイン人がメキシコに到着し始めた頃、この辺に暮らしていた人々は50万人にも及んでいた。
その頃には、サポテコの文字が開発されていて、2つものカレンダーのシステムもあった。さらには、とうもろこし、豆、瓜、唐辛子など様々な作物を作る農業も発達していた。
農業が発達して、人口も増えて、経済がうまくまわっていた。
1520年代にスペイン人が到着した頃、ミトラ遺跡の大祭司”Uija-tào”はスペイン人からも教皇として認められていた。
スペイン人が残した手記には、ミトラで埋葬された位の高い人々は、”雲の上の人々”になる運命にあった。と書かれていた。
このことからわかるのは、ミトラで埋葬されている人はごくわずかで、とても身分の高い人だけがミトラでお葬式ができたと考えられる。
最後に
それにだいぶ長くなってしまったので、とりあえず私のミトラ遺跡訪問はこれで一度締めくくりたいと思います。
たくさんの資料があり、モザイク模様の意味だったりどんな宗教儀式が行われていたかなど面白い情報があれば、記事にして残していきたい。
今回一緒に遺跡に行ってくださったヒロシさんにも感謝で、楽しい時間になった。
ビデオもがっつり撮ったので、興味のある人はぜひご覧ください!
オアハカ遺跡関係リンク