[第二弾]モンテアルバン遺跡をガイドなしで周る

モンテアルバン遺跡に行く前に、いろんな資料を読み漁って勉強はしていたのですが、結果的にやっぱり行ってみないとわからないというところに達して、ついに行ってみました。

 

広い広いとは思っていたけれど、やっぱりかなり広い。

 

そして南プラットフォームと、北プラットフォームの上の方から見る景色がとても綺麗だった。また近々行ってみたい!

 

今回はモンテアルバン遺跡をガイドなしで周る第2弾。

 

行ってみれば何かしらの説明書があるだろうと思っていたが、あるところにはもちろんあったのだけれど、正直ほとんどなかった。

 

古いものなのか、英語バージョンの説明書が消えかかってるところも多くて、少しだけでも調べていてよかったと思った。

 

説明書も何もなく、何もわからない状態で遺跡に行くのは、全然面白くないので、やはり事前の準備が必要だなと改めて感じました。

 

では第2弾行ってみましょう。

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11. モニュメント5,6 / Estela 5 y 6

南プラットフォームのすぐ下にあるモニュメント。

 

吹き出しが付いてると言われるポップなもの。

囚人が、腕を縛られている様子が描かれている。

12. システムM / Sistema M

南プラットホームから降りてきて、すぐ左にある大きな建物群。これはお寺、 神社といった宗教行事に使われた建物が残っている。


この辺りの建物は、紀元後500年~800年頃に建てられこのあたりも、かなり最近になって作られたもの。

 

日干しレンガの壁で囲まれていて、向こう側には踊る人々の石像がずらりと並んでいる。

13. "踊る人々"のギャラリー / Galería de los Danzantes

モンテアルバン遺跡の中でもかなり有名で見所の一つである、”ロス・ダンサンテス(踊る人々)”

 

つけられた名前はポップだけれど、実はこれは全くポップな意味ではなく、捕まえられた別の国の王様たちが捕虜となって刑を受けている姿だと言われている。

 

手がなかったり足がなかったり、首だけになっていたりといった場面が描かれていて、裸の男性たちが悶え苦しんでいるような形になっている。これは誰がどのように死んでいったかを克明に見せつけるための、モンテアルバンの力の誇示のためのものだった。

 

実物を見て思ったのが、性器の部分がすごく強調されている。

 

性器を切られて血を流している画面を表しているのか、どうなのか?

14. 建物L / Edificio L

“踊る人々”を守るように建てられている、大きな建築物。小さな入り口があって、中に入ると別の踊る人々の石像があった。

 

石像と共に、踊る人々の説明書も英語とスペイン語で、書かれている物が展示されている。

 

踊る人々は紀元前500年~紀元前200年頃に作られ、 ”サポテカ文化よりも古いオルメカ文明の影響を受けている”と書かれていた。

 

さらに”踊る人々”の中には、殺される捕虜の姿だけではなく、当時の王様の姿やビックイベントを表した石像も残されている。と書かれていた。

15. 建物K / Edificio K

Sistema IVと繋がるようにして建てられているEdificio K。
こちらも”踊る人々”を守るための壁のような役割。石像はかなり重要な立ち位置だったことが考えられる。

 

今で言う書籍のようなものでしょうか。これを見ながらいろんなストーリーを語って、後世に何があったかを語り継いでいたんだろう。

 

いつの時代も歴史を学ぶことは、教育の一つ。歴史から今が見えてくる。

16. システム4 / Sistema IV

Cyark monte alban 2.jpg
By CyArk - CyArk, CC BY-SA 3.0, Link

ここもシステムMと同じような、寺院 – 中庭 – 神社がセットになったシステマティックな建造物の集合体。

 

モンテアルバン遺跡後期の西暦500年~800年頃に建築された。

 

一階部分がお寺になっていて、真ん中の建物で挟まれた部分で儀式を行っていた。

 

さすがにモンテアルバンは、宗教行事の中心地だけあり、こういった宗教的な意味合いを持つ建物がとても多い。

 

一度どんな行事だったのか、参加してみたいもの。

 

大規模な調査の対象にもなって、こうして3Dデータが作られたりしている。

17. 天文台 / Edificio J o El Observatorio

この敷地の真ん中の方に作られた、天文台も見所の一つ。モンテアルバン民族は天文学をとても重要視していたことがわかる。

 

さらにこの天文台がメソアメリカの時代で一番初めに作られたとされる、貴重な建物なわけだ。

 

この大きな建築物は西暦100年頃に作られた。トンネルと階段があり、壁の角度も綿密に計算されて作られている。

 

南と西側の壁は、サイドに並んでいる建物などと並んでほぼほぼ一直線上に建てられている。

 

この天文台から星や太陽を見て、未来を予想したり、イベントを決定したりしていたと思うと、陰陽師みたいな文化があったんだなと、少しつながりを感じたりもする。

 

いつの時代も、遠くのもの、よくわからないものに思いを馳せるのは同じなのね。

”征服石板”

天文台の建物の周りには約50もの石版が埋め込まれていて、踊る人々と同じようにモンテアルバンによって征服された国々の王様などの名前が地名が刻まれている。

 

これらは紀元前100年~紀元後250年頃に作られたもの。

 

他の国の王様が頭を下げている様子が描かれたりもしていて、どれだけモンテアルバンの軍事力が強大だったかを表すために役立った。

18. 建物I / Edificio I

Edificios G,H e I Monte Albán.JPG
De DavidConFran - Trabajo propio, CC BY-SA 3.0, Enlace

建物G、H、およびIは、グレートプラザの中心部を占めています。

 

大きなお寺の役割をしていて、この3つの寺院の基礎は、紀元前100年から紀元後350年頃に建てられました。

19. 建物H / Edificio H

建物Hは真ん中に位置する一番大きな建物であり、更にその真ん中に大きな階段がある。二つのお墓が設置されていて、社が一番上に建設されていた。

 

西暦350年~500年あたりに西側の建物が増築され、宗教儀式が行われていたと考えられている。

 

建物Hは、朝日に対して向かい合わせになるように建てられており、 天文学者が毎日のようにここから朝日を観測していたのかもしれません。 

 

一番日の短い日には、二つの山の間に太陽が沈んでいく。これは彼らにとっては”死”と関連付けられて考えられている。

 

さらにここからは、生贄になった人の顔にかけられた翡翠でできたコウモリの神様をかたどったマスクが発見されている。

 

このマスクはメキシコシティの民俗博物館に展示されている。

 

詳しくは

https://www.atlasobscura.com/places/mask-of-the-bat-god

(英語ソース)

20. 建物G / Edificio G

大きな広場の真ん中に建てられた、建物群I,H,Gの一つ。

 

三つとも祭壇のような役割をしていた。

 

建物 G の階段は北プラットフォームにまっすぐに向かって建てられている。

最後に

まだ北プラットフォームに行けてないので、北プラットフォームにある建物は次のページになります。

 

ただこうして調べていて思うのが、なかなかちゃんとしたすべてを網羅した資料がオンライン上で見つからないという部分。

 

さらに、詳しい情報が載っているのはやっぱりスペイン語の資料が多い。そりゃそうだよね。スペイン語圏ですもん。

 

スペイン語から英語に直すと少しおかしな翻訳の仕方になってしまうし、結局元々の情報であるスペイン語の資料をスペイン語で読むのが一番いいという所に辿り着いた。

 

ということは、やっぱりしっかりスペイン語を学ばないといけない。

 

日本語のソースは皆無に等しい。詳しく書かれた日本語の本などがあれば教えてほしいです。

 

実際に、モンテアルバン遺跡に足を運んでみても、ガイドがいないと全く意味が分からない。

 

こうして予習と復習を繰り返していくことも、遺跡や彼らの文化を学ぶ上ではとても重要かなと思いました。

 

では、続きはまた今度。

モンテアルバンについて書いた記事

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Ai
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    旅と写真とブログでできている。

     JICAの青年海外協力隊として、東アフリカのタンザニアに行ったのが最初の海外生活。

      東南アジア、北米・中米など一人旅して、今はメキシコのオアハカに滞在中。スペイン語習ったり、写真撮りに行ったり。

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    【今後の展望】

    ・メキシコ移住実現

    ・オアハカのアートを探る旅

    ・南米を旅する

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