[第三弾]モンテアルバン遺跡をガイドなしで周る

モンテアルバン遺跡をガイドなしで周るというテーマで記事を書いてきました。

 

意外と資料が少なくて、苦戦してはいるもののやっぱり遺跡は面白い。

 

何千年も前にできたと思うと、どんな生活をしていたのかとても興味があるし、インターネットがなかった時代、むしろコンピューターもなかったし、

 

車もなかった時代に、どんな生活をしていたんだろう?

 

なぜこんな大きな宮殿や都市を作ることができたんだろう?

 

権力争いなどはあったんだろうか?

 

などなど様々な疑問が出てくる。

 

遺跡に行く前に少しでも調べておくことで、遺跡に行った時に新たな発見ができたりするので、あまり歴史に興味ない人も少し文献を読んでから行ってみることをお勧めします。

 

という私も、今までは全く調べずにただ遺跡に行って、これは何だろうみたいに思ってただけなので、ブログをはじめて、こうして文章を書きながら勉強する事で、より深く知ることがとても楽しく感じるようになってきた。

 

とまあそういったわけで、ブログも続けているわけだけど、誰かの役に立ったらいいなとも思っているし、これが新しい出会いやお金にも少し繋がっている部分もあるので、これからも続けていきたい。

 

記事を読んでくれているだけでも、私のサポートになっているのでこれからもよろしくお願いします! 

 

前置きが長くなってしまいましたが、3回に渡ってお届けしてきたモンテアルバン遺跡のかっこ建物や置物の説明と私の調査結果。

 

最終回いってみましょう!! 

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21. 建物B / Edificio B

モンテアルバン遺跡北プラットフォーム

北プラットフォームに入って、すぐ左にある階段の上に2本の柱が見られる建築物。

 

西暦800年~1531年頃にされた。モンテアルバンの中でも、一番新しい。 沢山ありすぎて、うっかり写真を撮り忘れていた。

 

ここまで来ると建物ばかりで、もう何を写真撮っていいのやらわからなくなっている。

 

この建物は、サポテコの人々がモンテアルバン遺跡を去ってから、ミステコ民族が新たに建てたと考えられている。

22. 窪んだパティオ / Patio Hundido

モンテアルバン遺跡北プラットフォーム

北プラットフォームの大部分を占める公園のような場所。50m四方もある。建築されたのは西暦500年~800年頃。 

 

ここでは宗教儀式が行われていた。例えばお葬式なども。

 

敷地の真ん中には、祭壇があり、その祭壇も12 M 四方とかなり大きい。ここでは本当の上流階級の人々しか、祭典や儀式ができなかったそう。

 

北プラットフォームの上にいる人しか、儀式は見れないような作りになっていた。 特に守られた場所。

 

この建築で面白いのが、一段上がった部分は天国を表していて、逆に下がった部分は”あの世”を表している。さらに、空・雷・雨を象徴している。 

23. 北プラットフォーム / Plataforma Norte

第1弾で南プラットフォームを紹介したが、ここは真逆にある北プラットフォーム。

 

42 M もの幅がある階段を上っていくと、大きな建築物が出てくる。 メインプラザと同じぐらいのサイズがあり、 階段を上った先には直径2 M もある支柱が待ち構えている。

 

この支柱の上には、屋根が設置されていたのかななどと思いを馳る。

 

北プラットフォームは、祭典や儀式などが盛んに行われていたとともに、人々が暮らしていたエリアでもある。

 

北プラットフォームの歴史は長く、 紀元前200年頃からお寺やパティオなどの建設が始まった。 

 

さらに、ここからはテオティワカン遺跡で作られたものも数多く出土している。

 

盛んにモンテアルバンと、テオティワカンのトレードが行われていたことがわかる。

24. 建物E / Edificio E

モンテアルバン遺跡北プラットフォーム

ここにも面白い石像が、階段の上の方のすぐ近くに設置してある。 

 

この石像の中には5人の人間が描かれていて、そのうちの四人は女性。 それぞれの人物の名前が象形文字によって、残されている。 もちろん彼らは支配階級の人々だった様だ。

 

メインのキャラクターは、ジャガーによって表現されているが年上の女性と、一人の若い男性が描かれていて、 権力の譲渡の儀式を表していると考えられている。

 

その周りに描かれている女性達も、家族や親戚の一員だった。 

25. 建物D / Edificio D

モンテアルバン遺跡北プラットフォーム

西暦500年~800年の間に建てられ、こちらもお寺だったと考えられている。 

 

本当に寺ばっかり。

26. VGコンプレックス / Vértice Geodésico / The VG Complex

モンテアルバン遺跡VGコンプレックス

建物Dと建物Eに囲まれたVGコンプレックス。

 

ここにも儀式や祭典が行われていた場所が残っている。

 

ここまで来るとどこに行っても儀式ばかりしていたのかなとさえ思ってくる。

 

お寺の総本山みたいな感じでしょうか。

 

ここには北、南、東の方角それぞれにお寺が建設されている。東側のお寺には、二つの支柱が今でも残っていて屋根を支えていた。

 

この支柱には、”大きなクチバシを持つ鳥の神様”と刻まれている。鳥の神様がこのお寺を守っていたのでしょうか?

27. 建物A / Edificio A

モンテアルバン遺跡北プラットフォーム

西暦500年頃に建築された。

 

Jeweled building ”とも呼ばれ、黒曜石などの宝石類が見つかっている。ティオティワカンの影響を受けている階段の作り。

 

建物の高さは7.5 M で、ここはティオティワカンから来た人々のためのお寺だったという説が濃厚。

モンテアルバン遺跡美術館

モンテアルバン博物館の中に、元々の形だったであろう模型が展示してある。

 

一番上は宮殿のようになっていて、確かにテオティワカン遺跡にも同じようなデザインの建物があった。

28. 宝石の建物 / Adoratorio, EDIFICIO ENJOYADO

一旦球技場まで戻ってから、北プラットフォームの裏側に回って見るとこの建物が現れる。

 

高さが7.5 M あり、他の建物等からは少し離れた場所に建設されているというところに、何か意味がありそうだ。

 

漆喰石で玄関が装飾されていて、赤い丸い石が埋め込まれていて、今までになかったデザイン。

 

これはティオティワカンの建築様式で、 ここにもティオティワカンの人が住んでいたと考えられている。

 

民族を越えてのエクスチェンジプログラムは、世界的にもこのモンテアルバンとテオティワカンが初めて行なっていたという説もある。

29. お墓104 / HACIA LA TUMBA 104

もう少し奥に行くと、そこには、TUMBA104があった。ここはあるエリートの一つのお墓。たった一人だけのお墓。

 

部屋のようになっていて、その人物が生前使っていたものや、陶器で作られたものなどが発見されている。 

 

メキシコシティの博物館で、見つかった時の様子の再現が展示されていて、こんな感じ。 

 

http://mundodelmuseo.com/ficha.php?id=560

 

壁の周りには神様を描いたようなペインティングがしてあり、とてもカラフル。そしてこのペイントは、テオティワカン様式で赤・青そして黄色が使われている。

 

大きな頭飾りをつけたコシージョと呼ばれるサポテコ文化の雨の神様が、横たわる骸骨を守るように設置されている。 

最後に

今回一緒に行ってくれた、サポテコ族のノエル。

 

彼は、オアハカに拠点を置く現代アートの画家。ロサンゼルスでエキシビジョンも予定されているほど、今後活躍が楽しみな若手アーティスト。

 

 

さて、ここまで3回にわたって私がモンテアルバン遺跡の一つ一つの建物や、石像について調べた記事でした。

 

昔は、歴史なんて全く興味がなかった私ですが、いろんな遺跡に行ったり、文化に触れることで少しずつ興味が膨らんできた。

 

こうしてかなりマニアックな遺跡について調べるのも、大変だけどとても勉強になります。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

私の調査はまだまだ続きます!

モンテアルバン遺跡のリンク

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Ai
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    旅と写真とブログでできている。

     JICAの青年海外協力隊として、東アフリカのタンザニアに行ったのが最初の海外生活。

      東南アジア、北米・中米など一人旅して、今はメキシコのオアハカに滞在中。スペイン語習ったり、写真撮りに行ったり。

     フォトストックサイトで写真を販売したり、翻訳やライターのお仕事もしつつノマドっぽいことしてます。

    【今後の展望】

    ・メキシコ移住実現

    ・オアハカのアートを探る旅

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