紀元前のオアハカに生きていた人々/テキスタイル美術館/歴史的な教会

オアハカには1週間程滞在して、大変気に入る町だった。食べ物は美味しいし、人は何だかより親切でにこやかだし。あの緩い雰囲気はどこから来るのだろう。

 

少し急いでメキシコシティに行ってしまったので、また戻ってゆっくりと過ごしたい場所だ。(2018年の一度目の訪問)

 

オアハカは、観光客にも人気で、南に行けばビーチもあってサーフィンもできるし、音楽は素敵だし、何と言ってもあの有名な”死者の祭り”には、観光客でいっぱいになるそうだ。私も行こうと思ったけど、泊まれる場所が見つからずに断念したくらいだ。

 

特に、アルテサニアと呼ばれる手工芸が盛んなオアハカ。私の大好きな場所になった。

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オアハカの概要 About Oaxaca

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西にゲレロ、北西にプエブラ、北にベラクルーズ、東にはチアパスがあり、メキシコの真ん中の州とも言えるオアハカ。

 

サポテコ族のとミステコ族によって独自の文化が形成されてきた。

 

モンテ・アルバン遺跡や、ミトラ遺跡といった歴史的にも貴重な遺跡も残っていて、ほとんどの人口がこの付近に暮らしている。

 

更には、大きなリゾート地となっているウアトゥルコや、プエルト・エスコンディード、プエルト・エンヘルなどなどメキシコの中でも主要な観光地と言える。

 

オアハカの名前の由来は、ナワトル族の言葉で”Huacyacac”。これは、このエリアで見られる木の名前だったようだ。

歴史を少し調べてみた A bit of history

その歴史は深く、紀元前11,000年にまでさかのぼる。

 

ミトラから近い場所に発見されたGuila Naquiz cave(2010年から世界遺産に指定されている)から、人間が住んでいた痕跡が見つかった。

 

その頃から、トウモロコシを食べていた様だ。なんて昔から。こんなにもメキシコに歴史があるとは思っていなかったので、びっくり。

 

そして、その後紀元前5000年ごろからは、農業が始まったとされている。種類は、豆、カカオ、トマト、唐辛子、かぼちゃ、ひょうたんなど。肉類は、七面鳥、鹿、ペッカリー(豚みたいなやつ)、アルマジロ、イグアナなどを食べていた。

 

紀元前1200-900年頃になると、焼き物が作られ始めた。

 

これらは、グアテマラの一部の地域のものとかなり似ているので、なんらかの繋がりがあったのかもしれない。そして、スペインの侵略の前までは、平和に?独自の文化を育ててきた。

 

750-1500年あたりまでに人口は250万人にもなり、メキシコの中でも大きな都市だったに違いない。

 

モンテ・アルバン

オアハカの歴史で、大きな影響を持っているのがモンテ・アルバン遺跡だ。

サポテコの人々が作り上げたこの遺跡は、紀元前500年~紀元後750年くらいのもので、25,000人ほどの人口がいた。

 

モンテ・アルバンからは、貴重な石碑や素晴らしい品質の陶器などが見つかっている。

1250年ごろになると、アステカの人々もオアハカエリアに到達する。しかし、彼らが大きな発展を遂げるのはもう少し後の15世紀だ。

 

彼らは、南の海岸沿いのエリアに住みつき、少しずつ勢力を伸ばしていき、元々はミステク族やサポテック族の土地までにもやってきた。沢山争いがあっただろうに。

 

しかし、そんなアステカ族にもスペインの弾圧によって、形勢が変わるわけだ。スペイン侵略の少し前までは、30年という歴史的に見れば短い間だが、アステカの支配が続き、オアハカシティは彼らの拠点だったのと、貿易の中心だった。

 

スペインの侵略

1521年から始まった、スペイン支配の時代。ここから、大きく歴史が変わるわけだ。

 

スペイン軍は、メキシコシティからほど近いティオティワカンを制圧した後、すぐにオアハカの方までやってきた。この辺りには、金が沢山取れたので、金も一つの目的だったのだろう。

 

ただ、初めから闘いが起こったわけではなくて、先住民のサポテック族やミクステク族たちは交渉をして、闘いを避けようとした。しかし、ここはスペインは聞かなかった。1570年には、サポテックのコミュニティサイトを破壊し、焼き払った。ここからスペインの支配時代が始まっていく。

そしてすぐに、オアハカの町の真ん中に教会が建てられた。

 

宗教で人の心も変えてしまおうということだ。怖い怖い。1528年には、ドミニコ修道会がこの地で活動を始めた。

 

先住民族の激減

スペイン人の支配が始まり、先住民族たちは過酷な労働を強いられるようになった。加えて、ヨーロッパから持ち込まれた病気によって痛ましくも大量の人の命が奪われる。

 

一部の地域では、全ての先住民がいなくなったほどだ。1520年には150万人いた人口も、1650年には15万人までに激減した。

 

更には、スペイン人はアフリカからも奴隷を連れてきて、南の海岸地域のコスタ・チカあたりに住まわせた。

 

こうして、先住民とアフリカからの奴隷たちは厳しい時期を生き抜かないといけなかったわけだ。

 

そして、独立運動の時代へと入っていくのだが、まだまだ長くなりそうなので、ここからはオアハカで行ったテキスタイルの美術館と、2つの教会を紹介。

オアハカテキスタイル美術館 Oaxaca Textile Museum

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あまり大きな美術館ではなかったので、30分もあれば見終わってしまう。

 

私が訪れた時は、1階が企画展で生地を使った現代アートの作品が並んでいた。2階に上がるとオアハカの伝統の織物だったり刺繍が施されたブラウスや生地が展示されている。

 

入場料:ドネーション(寄付という形なので、好きな金額をボックスに入れる形だった)

バシリカ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ソレダ Basílica de Nuestra Señora de la Soledad

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英語名:Basilica of Our Lady of Solitude
スペイン語名:Basílica de Nuestra Señora de la Soledad

 

建築は1682~1690年で、ローマンカトリック教会だ。バロックスタイルが取り入れられた美しい建築。

 

1987年に、世界遺産に指定された。

 

中に入ると、丁度ミサをしていて、地元の人々が熱心に祈りを捧げる姿が見て取れた。

 

グアテマラもすごく宗教に関して熱心だけど、メキシコも田舎に行けば行くほどその傾向は強い気がする。オアハカはそこまで田舎ではないけれど、あちこちに教会が立っていて割と宗教都市なのかなという気がする。

サント・ドミンゴ教会 Templo de Santo Domingo

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英語名:Church and former monastery of Santo Domingo de Guzmán
スペイン語名:Templo de Santo Domingo de Guzmán

 

オアハカの中心部であるソカロの中に建つサント・ドミンゴ教会。中は博物館になっている。

 

ドミニコ修道会によってこの名前が付けられた教会で、1575年に建設が始まるも200年という長い歳月をかけて徐々に完成した。1608~1857年まで修道院として使われていて、その後の独立戦争の1866~1902年までは軍用もされていたという不思議な歴史を辿っている。

 

教会の入場料:無料

 

 

博物館

 

貴重なコレクションが貯蔵されていて、オアハカの文化背景を知る事ができる。プレヒスパニックの時代から、現代のクラフトや薬学、そして食文化に関してまで幅広い。

 

中でもモンテ・アルバン遺跡から出土品も保管されている。

 

入場料:75ペソ
時間:10:00~18:15
定休日:月曜定休

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Ai
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    旅と写真とブログでできている。

     JICAの青年海外協力隊として、東アフリカのタンザニアに行ったのが最初の海外生活。

      東南アジア、北米・中米など一人旅して、今はメキシコのオアハカに滞在中。スペイン語習ったり、写真撮りに行ったり。

     フォトストックサイトで写真を販売したり、翻訳やライターのお仕事もしつつノマドっぽいことしてます。

    【今後の展望】

    ・メキシコ移住実現

    ・オアハカのアートを探る旅

    ・南米を旅する

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