【ラオス・ビエンチャンの凱旋門】パトゥーサイモニュメントの裏話

ラオスのビエンチャンに、凱旋門があるのをご存知でしょうか?
凱旋門といえばフランスのパリですが、ラオスにも凱旋門”パトゥーサイモニュメント”があった。
私も全く知らずに、駅から宿に向かっている途中で突然現れた巨大な門。あまりに突然でびっくりだった。
メインの通りに堂々と立つ、パトゥーサイモニュメント。
ビエンチャンに行けば、いやでも一度や二度は見ることになると思います。
そんなパトゥーサイモニュメントの歴史いや背景の裏話が面白かったので、ここで記事にしました。
パトゥーサイモニュメント×数字
建物の高さは、55m。 幅は24mあり、遠くの方からでも存在感ばっちり。
”パトゥーサイモニュメント”別の名を、Anosavari Monumentとも呼ばれる。
アメリカの出資もあり、ラオスの波乱の時代だった1957年に建設が開始され、完成は1968年と実に11年もの月日がかけられて建設された。
なぜこんなに長期間かかったのか?それはやはりお金の問題。
海外ではよくある話ですが、資金が途中でなくなり、工事が一旦停止になることは多い。
何度も一旦停止になりながらも、1968年にようやく完成したというわけ。
なぜアメリカが、出資?その裏側
1950年代にアメリカがファンドを立ち上げて、更にたくさんのコンクリートを寄付したのは、ビエンチャンの新しい空港を作るためだった。
それはベトナム戦争中にアメリカの基地を作って、 戦いを円滑にしようという目論見があったと考えられる。
こんな時代に、理由もなくタダで寄付をするような国じゃない。
しかしラオスは、コンクリートなどが届く前にモニュメントを建設することを決めており、空港を作るよりもこのパトゥーサイモニュメントを作ることを優先した結果、この凱旋門が出来上がった。
この話から、 現地の人には時折”vertical runway”(縦の滑走路)とも呼ばれるそう。
皮肉も込められてる。
パトゥーサイモニュメントの意味と名前
このパトゥーサイモニュメントは、第二次世界対戦で亡くなられた兵士たちのために建設された。
更に、もう一つの理由は1949年にフランスから独立したことを祝ってのこの二つの理由がありました。
パトゥーサイという名前の意味は、サンスクリット語で勝利のゲート(凱旋門)という意味で、”パトゥ”がドア 、”サイ”が勝利。
パトゥーサイモニュメントの建築
ラオス人の建築家Tham Sayasthsenaによってデザインされた。
モニュメントは、5つのタワーで形作られている。
これは仏教の五つの原理原則を表していて、
”深い慈悲、柔軟性、誠実さ、尊敬の念、そして繁栄”。という意味が込められている。
4方向に出入り口があり、一方には噴水が設置されている。
噴水にも意味があり、勇敢に戦った戦士たちへの敬意を込めて作られたそうだ。
音楽とともに水が踊り、夕方の時間はたくさんの人が集まり写真撮影をしていました。
この噴水は中国の寄付によって作られた。
モニュメントの中と装飾
パトゥーサイモニュメントの内部は、7つの階層に分かれており、 建物の上からはビエンチャンの街並みの景色が楽しめるようになっている。
下の階から見れる、モニュメントの天井の装飾にも注目してもらいたい。
天井を見上げると神話に出てくる動物で、装飾が施されていてラオスらしい芸術が感じられる。
キンナリと呼ばれる半分女性で、半分鳥の動物。蛇の神様ナーガ。
これらはラオスを象徴する仏教の神様である。蓮の葉のモチーフなども。
他にもヴィシュヌ神や、ブラフマー神、インドラ神、三つの頭を持つ白い象の神様アイラヴァータ神などと言ったヒンドゥー教やの神様のモチーフで飾られている。
おすすめの写真撮影スポット
時間を変えて2度パトゥーサイモニュメントに足を運びました。
夕方の時間は、人がたくさん集まりジュースを売っていたり、軽食を売る車が現れたりしてゆっくりとできます。
パトゥーサイモニュメントの目の前にある、噴水から夕日の時間に写真を撮るととても綺麗に写真を撮ることができました。ライトアップもとても素敵。
期間限定だったかもしれませんが、モニュメントの近くに陶器のお皿やカップで作られた象の置物もあって、それもなかなか見もの。
入場料・時間・場所
入場料:無料
モニュメントの建物の上に行く場合:3,000kip (タイバーツ、USドルでも支払い可)
時間:月曜~金曜 8:00~16:30、土曜・日曜 8:00~17:00
パトゥーサイモニュメントの写真集はこちら
ビエンチャンの旅ブログ